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ユージン・ニコラス・サルトリー(1871〜1946)は、フランスのミルクールで生まれ、はじめは父親から弓製作の手ほどきを受けます。そして、その技術の更なる向上のためにパリへ出て、シャルル・ペカット等いくつかの工房を点々とし、もっとも感銘を受けたアルフレッド・ラミーの工房に弟子入りしました。才能にあふれていたサルトリーは、早くからその才能を開花させます。若干16歳でブリュッセルのコンクールで金メダルを獲得したのです。
以後彼は、独自のモデルで製作する事を許されます。彼の初期の作品は、ラミーの作品とよく似ていて、ヘッドの背が高く、繊細でエレガントな特徴を持っています。しかし、中期、後期となるにつれ、サルトリー独自のスタイルを確立していきます。その作りの特徴は、ヘッドの背が低くなり、幅広で、力強くなっていきます。同時に弓元の太さもどっしりと力強くなっていきます。そして、弓の反りの一番深い位置を中心から少し弓先へ移す事により、安定した弾きやすさを実現しているのです。更にサルトリーの弓は、弓先と手元との重量配分が常に完璧なバランスで作られています。これはサルトリーが、一度作品を完成させ、毛を張り、試奏した上で最終調整の一削りを入れているからです。そのため、サルトリーの作品の多くは、オリジナルコンディションのものであっても、ブラックライトをあてると後から削られた痕跡が見てとれるのです。これにより、サルトリーは操作性において先の巨匠、トゥルテやペカットをも凌ぐと言われていくのです。おそらくサルトリーは、弦楽器の演奏にも大変優れていたのでしょう。
加えて、修理の専門的な見地からのサルトリー作品の決定的な特徴は、毛替えや修理が極めてやり易いという事です。例えば彼の弓は、クサビ穴の形状が非常に良いため、クサビを作り易く、入れ易く、外し易く、そしてリングの位置においても、毛束を均一に広げる際のやり易さは他のメーカーを圧倒しています。さらに、これらにとどまらない独自の工夫や機能的な箇所の発明等により、彼の弓はとても丈夫でメンテナンスし易く作られているのです。このことからもサルトリーが、製作面だけでなく、毛替えの面にも研究に力を入れていたことがわかります。 つまりサルトリーは、自身の弓を少しでも後世まで良い状態に保つために、演奏者とともに、それをメンテナンスする後世の職人へも配慮をして、弓を製作していたのです。
結局サルトリーは6つのコンクールで賞をとり、彼がまだ生前のうちからサルトリーコピーの贋作が出回るほど評価されました。彼自身がアメリカに行き、偶然その贋作の弓を毛替えで預かった際には、激怒してその弓を折り、代わりに自身が製作した本物の弓を渡したという逸話もあるほどです。
その後サルトリーは、生涯にわたって手を抜かずに安定して良い作品を製作し続け、多くの演奏家、愛好家、収集家、投資家、ディーラー達に賞賛されていくのです。
堀正文さんはこの弓“ex Masafumi”を3rdボウとして使用していました。堀さんはメインボウとして、“ex Sartory”のトゥルテを使用しています。これはサルトリー自身が研究のために所有していたトゥルテの弓で、世界の5大トゥルテと呼ばれています。 筆者が15年ほど前、この“ex Sartory”のトゥルテに初めて触れた時の事は生涯忘れられません。世界一のエレガントさを持つと言われた、この弓の内面から溢れ出るようなその輝かしさとその美しさは、それまで出会った弓とは一線を画していたからです。まさに筆者がフランス弓に目覚めるきっかけとなった弓でした。この“ex Masafumi”のサルトリーはトゥルテほどの音色は望めなくとも、操作性においては甲乙つけ難いものがあったようです。 現在はアマチュア愛好家の方が所有しております。
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